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イメージで受信したことを言葉にする

07 09 *2009 | 雑記::考察

なんとなくどうやらそこはかとなく体調不良続き。
熱いのに寒いみたいな天気が続きますねー
SF大会でやった企画、今年は録音してきたので
一部抜粋で、編集して出そうかと思っているのですが
また余力がないまま終わる可能性もありです。

ひとりで聞き直してにまにましています。
漫画は基本的に、コマの中の絵を、意味に置き換えながら読むのだと思うのですけど
そこのところを、普段読んでるときは完全に言葉に変換するのではなく
漠然としたイメージを受け取ったまま流して読んでいるのですが
他の人と話をすると
自分が、どういうイメージをその描かれている絵から受け取っていたのかを
言葉にしながら話すので
そうか自分はこんなふうに感じていたのかとか
その辺がむしろはっきりと現われる気がします。

小八汰に関してとか、テンテンに関してとか
そんなに色々と考えたことがなかったので
話題になったときに話していたのは、結構適当というか……
そのときはじめて言葉にしたものだったのですけど

その辺はむしろ
はっきりとそうやって考えているというよりは
この設定でこうきたら、私だったらそれはこういう設定。
という自分に置き換えて話している部分な気がしました。

でもこれからの展開についてとかいろいろとそういう話も出たんですけど
展開について話すには、七巻のラストは結構いいタイミングのところだったなあと……

楽しかったです。

01:18

魔法使いの娘のコマ割りについてその一

06 26 *2009 | 雑記::考察

ほぼ私事ですが
今年のSF大会のファン企画の方では
「魔法使いの娘」も語ろうと思って
語るためのネタを考え中です。
一緒に喋ってくれる塩湖さんは行き当たりばったりの方がいいという人なので
前回の打ち合わせの時も
ネタがでてくると、その続きまで話しているとストップがかかってしまい
私は先に喋ることをすぐに忘れてしまうタイプなので
全部メモをしておきたいのですけど
それができなかったために
色々と忘れてしまってもう思い出せないので
今年は自分で喋る分は一応、先に道筋を立てて
こうやって一応は文章にしておこうと画策しているわけです。

今年はコマ割り批評でもやるかー
とうっすらぼんやりと考えていたのですが
そのことを念頭に置きながら魔法使いの娘を読み返していたのですが
一巻の一番最初の話は
コマ割りにずいぶん時間がかかってるなあー
コマ割りが遅いなぁー
と思って読んでいて
でも読み進めているうちに
二巻ぐらいからずいぶんコマ割りが早くなってるなぁ
と思って
から
「そうか!」
一巻の一番最初の話でコマ割りにずいぶん時間がかかってる。
と感じたのは
直しが多かったからに違いないと気がついた。

これは「本屋の森のあかり」でも思ったんだけど
本屋の森のあかり参照。
一度コマ割りをしたあとで
何度もところどころのコマ割りの直しを入れていると
物語の流れが悪くなるので
読む速度も遅くなるというか…
うーん
この辺はちょっと
「なんでコマ割りが遅いと感じるのか」
「なんでコマ割りに時間がかかると、読むのに時間がかかるのか」
というのは
感覚的にわかっている人は結構いるかと思うんですけど
(特に描いている人の中には)
それをちゃんとした評論とかの言葉に直して
誰が聞いても納得できる内容にできるのかというと
ちっともさっぱり。

感覚的にしか理解していないのでした。

でもまあチャレンジすることに意味がある!
……かもしれない。

しかしコマ割りの流れがよくなってくると
その後フツーに読み直しちゃいましたよー
考えながら読むのって難しい!!

そもそも物語の中に入り込めないような話だったら
ただひたすら考えてるんですけど
(どう直したら読めるようになるのかどうかとか)
ちゃんと読める話だったら
フツーに読んでる方が楽しいもんね!(当たり前)

23:40

キャラクターのベクトルの方向

06 21 *2009 | 雑記::考察

梅雨ですねー

雨宿りーこんな季節でしょうか。
雨宿り……アマヤドリ……
カタカナにしてみると違うものになるような……
モンスター?
(誰もわからないようなネタだった)
素早さアップ!

アマヤドリに勝利した光流が手にしたものは素早さアップ!

雨降りで体調が悪く、原稿の仕上げで根を詰めて手が痛い今日この頃……
全国でみんなたくさんの人がきっと修羅場をしていると信じて
今日も頑張ろうと思う日々ですー

オンラインしか見ない人は関係がないのかもしれませんが
オフライン関係では、夏コミに向けて修羅場のスパートに入り出す時期ですかねー

そんなこととは全然関係がなく
思いついたことをつらつらと書きますが

グリーンウッドはやっぱり、自分の世代はリアルタイムで読んでいた人が多く
その思い入れも並大抵じゃないみたいなのですが(他人事のようにいう)
案外
グリーンウッドは読んだけど、他の本は読んでいないという人が多く
少女漫画は基本的に作品にファンがつくより
作家にファンがつくと言われていたらしいのですが(最近はそうでもない)
そこにあっても、だいぶ作品についたファンが多かったのかなあと思います。

この話を知り合いにしたときに
「あまりにも、他の作品が最初に好きになった作品と違うと手に取りにくい」
といわれて
全く理解できなかったのですが(笑)
(私は作家で本を買うタイプだったので)
最近になって、やっぱりそういうものなのかなーとつくづくと考えます。

なんだろう……実際には読んでみたら面白いことの方が多いと思うんですけど……
作家さんの感性っていうのはそんなに変わらないので
一つの作品を面白いと思えたら、他の作品も面白いと思える可能性の方が高いんですが
作品の傾向があまりにも違いすぎると
何か意味もなく、手を出しにくいんだろうなあと……

内容にもよるのですが
那州さんはそんなに作品数が多くないので
分類するといってもそんなに分けようがない気がするんですが

グリーンウッドを群衆劇と位置づけたときに
同じようにキャラクター数がある程度多い作品って

・天使とダイヤモンド
・月光

だと思うのですが
月光は、ちょっとキャラクターの個性よりもストーリーに比重が置かれてる作品なので
キャラクターの向いてる方向性とかがわかりにくいんですが
(ストーリーは基本的に一つの結末に向かって集約していくので)
天使とダイヤモンドなんかはもう少しわかりやすく
グリーンウッドと違って、みんなが同じ方向を向いています。
グリーンウッドの場合は主人公たちが話している奥で、主人公と絡んでいなキャラクターたちは自分の物語をつづっているのですが
天使とダイヤモンドの場合は、みんなが同じ物語の中にいます。
この辺がだいぶ違いがあるように思います。

キャラクターたちがそれぞれ別々のベクトルの方向を向いているという意味では
むしろ、フラワーデストロイヤーシリーズの方がそういう感じでできていて
これは未来人の設定の問題や、元々別なシリーズであるてっちゃんが同じ話の中にでてくるせいもあると思うのですが
主人公たちと、未来人たちと、てっちゃんたちはそれぞれ別な方向を向いて一つの物語の中にいる感じです。

魔法使いの娘ー
魔法使いの娘はあまりキャラクター数が多くないので
群衆劇というカテゴリには当てはまらない気がするのですが
妖怪たちとかがたくさん出てくると
妖怪たちは全然別な方向を向いているので
その回だけ辺に群衆劇臭くなる気がします(笑)

21:58