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欲望の凹凸〔晶馬×冠葉〕

 湯船をスポンジで擦りながら、冠葉の思考は自然と物思いに耽りがちだった。
一体もう幾度目になるのか、桃果から与えられる仕事としての子育て。親に見捨てられ愛に飢えた子供に愛を注ぐという使命。それ自体に冠葉は何の不満もない。むしろ喜びをもってその任務に当たっていた。けれど、
また一つ、ため息が出る。
憂鬱なことが一つもないわけではない。繰り返される出会いと別れ。出会いはいつだって不安と期待で胸が弾み、別れはいつだって……
「あいつも大分大きくそだったもんな」
本来喜ぶべきことをどこか憂鬱な気持で実感して、ため息をつく。
こういうことに関して晶馬の切り替えは早い。早々に別れの時期を決めてしまう。冠葉は晶馬の決断に従って、その後の『子供』の身の振り方を考えて、話をつけて……けれどどれほど良い環境に託すことが出来たとしても、冠葉が割り切ることはそんなに簡単ではなかった。
(いい男に育ったよな。これだったらきっと女共は放っておかないだろうよ)
しみじみと心の底からそう思う。絵に描いたような爽やかな笑顔を浮かべて冠葉を呼ぶ。あの顔を向けられて断れる女性なんか恐らく一人もいないだろう。親ばかよろしく冠葉は絶対的な確信を持ってそう思う。ただ、惜しむらくは今まで溢れんばかりに与えられてきたその笑顔は、やがて金輪際見ることが出来なくなるのだろうというそのことだけで……
初めてではない。今まで何度も繰り返してきた。けれど冠葉は未だに慣れることが出来ない。その時が来るまでずるずると未練を引きずって、そして貴重な最後のひとときをいつも、どこかぎくしゃくと過ごしてしまうのだ。
もう一度ため息をつこうとしたその時、
「冠葉。一体いつまで同じ所磨いてるんだよ」
背後から突然かけられた声に飛び上がらんばかりにして驚いてしまう。いつの間にか近づかれていた気配に全く気付かなかった。不覚としか言いようのない事態に、けれど冠葉はどうしようもない苦しさを感じてしまう。なぜなら聞こえた声は、今まさにその別れを思って憂鬱になっていた、当の育ての息子だったから。
「え?」
どこかぎくしゃくと振り返れば、風呂場の入り口で息子は腕を組んで呆れた顔をしていた。
「え? じゃないよ。さっきからため息をついては同じとこばっか磨いて……おかしいぜ、冠葉」
息子はおもむろに風呂場に入ってきて、冠葉の前に屈み込んで手を伸ばしてきた。
「なんか熱でもあるんじゃねえ?」
冷たい掌が額に触れる。その感触がどこか心地よくてうっとりと目を閉じる。
「ほら見ろ。やっぱ熱あんじゃねえか」
「別に……大したことないだろ」
触れられることが心地よくて、目を閉じたまま答えれば、しばしの沈黙の後、息子は少し口調を変えて、
「この間の返事。聞いていいか?」
「この間の……?」
なんだっけ。なんだろう。ぼんやりとしていた所為か上手いこと思い出せなかった。
「忘れちゃった? 俺と付き合ってって言ったじゃん」
不満そうな声に目を開く。そういえばそうだった。どうせもうすぐ別れて、自分達の記憶すらなくなるのかと思うとあまり重要なことには思えず、返事を先延ばしにしてそのままにしてしまったのだった。
「そ、その話はまた後で……」
「前もそう言ったよね。今返事くれよ」
冠葉は途方に暮れる。断り文句なんてまるで考えていなかった。というより、手塩にかけて育てた息子である。断るような要素なんてあるはずがなかった。
「言っておくけど、男だからって断り文句はきかねーからな。晶馬とそういう仲だって知ってるぜ」
「えっ……」
顔が近づいてくる。
「俺が言ってるのは、晶馬をやめて俺にしないか? ってこと」
顔が更に近づいてくる。冠葉の中で警鐘が鳴り始める。
「俺だったらきっと晶馬よりもっと冠葉に優しくしてやれる。宝物みたいに大切にしてあげるから……」
遮ろうとした掌。手首を掴んで押さえ込まれる。近づく顔を止めることが出来ない。このままでは触れてしまうのは明白だった。……唇と唇が……
「なんて顔するんだよ、冠葉。襲ってくれって言ってるみたいだぜ」
今自分がどんな顔をしているかなんて冠葉には全くわからない。嫌いだなんて拒めるはずがなかった。愛する息子なのだ。
生々しい吐息が唇を掠める。奇妙に切羽詰まったような表情を見詰めて、漸く冠葉は目の前の相手が自分に欲情していることに思い至る。
(どうしよう……)
途方に暮れながら、冠葉の頭の中には拒絶するという選択肢がどうしても出てこない。どうせすぐに別れて、忘れられてしまうのなら……流されるようにそんなことをちらりと頭で考えて……

「はい、そこまでね」
冷たく冷えた第三者の声が響いた。足音が聞こえて、二人の頭上からシャワーの水が降り注いだ。
「全く、何やってんの、冠葉」
晶馬は完全に凍り付いた声で冠葉を見下ろした。
「なんで冠葉を責めるんだよ。悪いのは俺だろ」
息子が不満そうに言い募る。晶馬は困ったように首を傾げる。
「君は何も知らないだけだよ。冠葉が何を考えていたかなんて……どうせ可哀想だから身体だけでもあげればいいやって、そんなこと考えてたんだろう?」
シャワーと同じく冷たい声が降り注ぐ。
息子が慌てて腕を伸ばしてシャワーの水を止めた。
「何するんだよ。冠葉は熱があるんだぞ」
「ああそう。本格的に寝込んだ方が良いかもね」
晶馬は服を着たままびしょ濡れの冠葉の身体を、腕を引いて引っ張り上げると抱き留めた。
「晶馬!」
不満そうな声音を見下ろして、晶馬は淡く微笑んだ。
「それから、言っておくけど、冠葉はひどくされるのが好きなんだよ。優しくなんかしてたら、飽きられちゃうと思うけど……」
「それって、晶馬の思い込みじゃねえの?」
「思い込みかどうかなんて、一緒に寝ればわかるだろ?」
軽く言い放って、
「それからごめんね。これから冠葉のお仕置きしなくちゃ行けないから、しばらく寝室には近づかない方が良いと思うよ」どうだって言うのさ」
「ちょっと待てよ。冠葉は熱が……」
「出てるからどうだっていうのんだよ」
晶馬は息子の発言を切って捨てる。
「そんなことを言ってそのままにしておくと冠葉がどうなるか、お前はまだ何も知らないんだ。僕たちのことに余計な口出しはするなよ」
硬直してその場で全ての動きを制止した息子に、晶馬は独り言めいて呟いた。
「やっぱりダメだ。冠葉は僕でないと……でないと冠葉を留めておくことなんて出来やしないんだ……だからもうお前も二度と冠葉に手を出すなよな。絶対に」
「悪い……」
矢継ぎ早に晶馬から繰り出された冷たい言葉の数々よりも、抱きかかえられたまま振り返らずにぼそりと告げられた冠葉の言葉の方が、余程の衝撃でいつまでも息子の胸の中で響き続けていた。



[終わり]
〔ブログ;2012.02.05〕

まあ、ホモ二人が男の子を育てたら、大きくなった男の子にどっちか片方が迫られるという展開は、
王道かと思うのですが、
晶馬が押し倒される話を考えていたら、先輩に、異議を申し立てられましたので、
とりあえず冠葉が迫られるバージョンを書いてみました。
が。
後味悪くなりました。
冠葉の所為だと思います。

→前編らしきモノ

<塩湖 晶/20120322>

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