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■オオカミ少年■



 追憶のように歩きなれた道を歩く。
 ついこの間まで、まるで当然のように歩いていた道は、もう今は自分のものではないのだ。おれは奇妙に足の下のアスファルトを他人行儀に感じている。
 こんな風に何もかもが季節と共に、おれのものになったり、そうでなくなったりしていくのだろう。それは止めようもないもので、そして予め不可能とわかっていることにこだわるのは無駄であることを、おれは誰よりも知っていた。
 けれど。
 おれは隣を歩く光流の横顔に目を走らせた。相変わらずどこか呑気で締まりのない顔。この顔に一体何人が騙されているのだろう。いや、ひょっとすると騙されたのはおれだけだったのかも知れない。その顔を見ておれが思うのは今はたった一つだけで、
「今日だな」
 おもむろにそう言うと、
「ああ」
 勝手知ったる様子で頷く。だからおれは毎年言っているその言葉を口にする。決して光流の顔は見ないで前を向いたまま。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 少々わざとらしい口調でおれの言葉に答えて、光流はおれの方に顔を向けた。頬に突き刺さる視線の感触がひどく鬱陶しい。
「誕生日ありがとう、ねぇ……本当におまえへんな奴だよな」
「ほっとけ」
「いつになったらおめでとうに進化するんだ?」
 何気ない一体何と言って返そうか、それとも返さざるべきか。迷っている折りにその声は聞こえた。
「あ」
 耳慣れたその声。
「光流先輩、忍せんぱーい!」
 目を上げると道の向こうで手を振る人影がある。瞬だ。隣に蓮川もいる。
「おうっ!」
 光流も声を上げて手を振り返す。「なんだよ、あいつら……」呆れた声に喜びが滲んでいる。うんざりするほど繰り返された、見飽きた連中との見飽きたやりとり。それはまるで同じに見えて、けれど今までのそれとは既に違うものだった。既に関係の変異した相手との、変異しないつきあい。おれは少しだけ不思議な気持ちになる。それはまるで魔法のようだった。
「光流先輩、ねえもう桜が咲いてるし、お花見しようよ!」
 手の届く距離まで近づくと、瞬はいきなりそう切り出した。人の都合も聞かずにいきなり切り出す瞬のそんなやり方は嫌いじゃない。光流もどうやらそれは同じのようで、
「咲いてるっていったって、おまえ、まだ外は寒いだろ」
 言いながらその顔はむしろやる気満々だ。思わず突っ込まずにはいられない気分になってその後一頻り軽口めいた後、瞬は言った。
「そんでねー光流先輩! お誕生日おめでとう!!」
 僅かに、息が止まった。
 ああ。
 おれは自分の表情がゆっくりと笑顔になるのを感じた。元よりあまり感情表現は得意でないおれは、笑顔ばかりは社交の手段とばかりに駆使する術をしていて、だから今だって笑顔を作る自分を感じてから、其処が微笑ましい場面であることに気付くのだ。
 ほんとうは、おれがそのとき感じたのは決定的な敗北感であることなど多分どうでも良いことで。
「何だ、おまえ、物覚えのいい奴だな」
「へへへー光流先輩ほどじゃないけどね」
「先輩、おれも! おれもちゃんと覚えてます!! おめでとうございます」
 なぜだかムキになって蓮川が瞬の後ろから顔を出す。じゃれ合うようにして瞬ともみ合いながら真っ直ぐな目が光流を見つめている。
 良かったな、光流。
 おれは少しだけ安心する。おれはきっとおまえの誕生日を祝ってやることなんて出来ないから、だからこの後輩たちが真っ直ぐにそう祝ってくれることがおれには嬉しかった。
 多分おれは少し嘘をつきすぎたのだ。
 心にもないおめでとうを言い過ぎて、今更どうやって本気でおめでとうなんて言えばいいのかわからない。そもそも、生まれてきて良かったね、などと言える資格が自分にあるのかどうかもわからない。それを言えるのは恐らくは光流を幸せにすることが出来る人間だけなのだ。それはきっと、自分が相手を幸せにするからこそ、生まれてきて良かったねと言えるのだ。けれどおれはただ、光流と出会えたことによって得られた何かを感謝することだけで精一杯で……
『いつになったらおめでとうに進化するんだ?』
 3年かけてもありがとうから卒業出来ない自分に、それは至極尤もな台詞だった。
 ふと、瞬がこちらに目を向けて来た。話題は光流に集中しているというのに周囲に目を配るあたりが瞬らしい。
「それで、何処の桜を見に行くんだ?」
 心の中が動揺しているこんな時は下手な話題を振られたくない。だから自分から話しかけた。
「んーとね、じゃあ……学校!!」
「学校ぉ?」
「酒が飲めんな」
 光流と二人、不満そうな声で答えながらも本当は満更でもなかった。これから学校もますます足を向けにくい場所になっていくのだろう。あれほど当たり前に通い詰めた場所なのに。おれたちは文句を言いながら足を緑都学園へと向けた。通りさわりにおそわれた道。光流と通った通学路……過去への憧憬は果てがなく、おれは少しだけ口数を少なくさせる。
 蓮川をからかう光流と瞬。同じなのに同じでは決してないもの。光流の誕生日。未来への不安……いろんなものがおれの目の前にあった。そしてそれはどれもおれにはどうしようもないものなのだった。
 嘘をつきすぎたオオカミ少年に出来ることなど何もない。それはおれが受けるべき報いでもあったのだろうか。
 校門をくぐる。垣根に沿うように植えられた桜は、わざわざ見に来たのが気の毒に思えるほど、申し訳程度の花しか咲かせていなかった。貧相な花付きの桜におれは感傷的な気分に引きずられる。それはあまりにも寂しすぎる眺めだった。
 ゆっくりと桜に歩み寄り、指先で幹に触れた。思うのはただ一つ。もっと……こんなものじゃない。もっと沢山咲いてくれ。満開に、圧倒的な力で咲き誇ってくれ。
 そうやって、光流の不安な誕生日をおれの代わりに祝ってくれ。
 不安なおれたちの門出を祝福してくれ。
 もし、小説のように死体が必要だというのならおれの身体を使えばいい、だから……
 だから光流を祝ってくれ。彼を生んだ人を、彼を育んだ人たちを、そうして彼自身を全て、おれの代わりに……
 祈る気持ちで、額を幹に預ける。言葉も通じぬ相手に、せめて想いだけでも伝われと。必要であるならば血でもなんでも其処から吸い上げろと。
 直に触れる幹の中、今にも咲き誇らんとする桜の赤い生命力を感じ取ろうとする。もっと強く、もっと赤く……全ては光流のために……
 黙々と念じるおれの脳裏に、満開の桜が見えた。
 けれどそれはただの幻の桜で、ただのおれの願望で、光流には決してみることの出来ない桜なのだった。


<U.K./20050328>

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