■存在の耐えられない軽さ■この、れんぎょう木の下にあんたはいたのよ。 こどもの頃から何度も聞かされた話は、自然と俺の体に滲みこんでいった。 物心つく頃には弟の正と自分が似ていないことは誰にいわれなくてもわかっていたし、家族の中で自分ひとりだけが違うのだという事実は理性で感じ取ったというより、体にこびりついてはなれない黴のようだった。 はらってもはらっても離れないそれを受け入れるしかないと、一体いつの間に自分は諦めてしまったのだろう。 たくさん降り注がれた愛情の、一体何が不満で、この心の奥底に暗い吹き溜まりがあるのだろう。 そんなことを時折醒めた気持で考える。 生きていてよかった――。 そう思う気持ちと共に、どこかで何かの輪が途切れていたら、今俺はここに存在しないのだという事実が消えない。 たとえばあの日、池田家の人が俺を見つけなかったら、たとえばあの日が暖かくなかったら――そんな“もし”が俺の存在を空虚にする。 今生きて存在しているという確からしさを一秒で無にする。 これは論理で考える哲学めいた実態のない考えで、俺という存在の質量はたとえ、死んでさえも瞬時に0にはならないというのに、感覚でだけはいつでも人は簡単に死ぬ。 「光流先輩、どうかしたんですか」 物思いから醒めると、そこには見慣れた後輩のまっすぐに心配そうな顔があって、少し周りに目を移せば、忍がいて、瞬がいて……咲き始めの桜はまだまだ散る気配もなく、目に見える全てが、自分の存在を受け入れている。 生きていていいのだ、と。 「春ボケという奴だろうよ」 忍はさっきまでの頼りなさを厚い仮面の下に押し隠して微塵も見せないでいった。 どういうわけか、後輩の前ではことさらいい顔見せたがるんだよな。 そう思うといつも笑い出したくなる。 「光流」 「なによ」 「いいたいことがあるなら、はっきりいえ」 忍はどこか脅すような圧力をにじませていう。 とはいえ、その顔に『いったら殺す』とも書いてあるわけで、俺はいつもの通り、気づかなかった振りを決め込んだ。 忍は存外不器用で、愛情を示すなんて男としてみっともない、ぐらいに思っているらしいが、こいつはこいつなりに、後輩思いだったりするのは多分蓮川も瞬も気づいている。 「忍先輩、お酒なくてつまらないんでしょ」 「卒業したって、20歳未満なんだからどこでだってお酒は禁止ですよ。そうですよね、光流先輩」 「忍、俺は時々、蓮川兄に同情したくなるんだが、これはこれでいいんだと思うか?」 「鬱陶しい時もあるとはいえ、これが蓮川一也だろ」 「すかちゃんって、TPOを感じ取れないところがあるもんねえ」 「なんだよ、それ」 ぶすっとして蓮川がふくれる。 その顔を見て、ああ、ここはいつものグリーンウッドだ。と思った。 俺はもうここから出て行ったのに、ここに帰ると奇妙に心が揺らぐ。 それは多分、ここにいれば考えたくないことを考えずにすむからも知れない。、 『オメデトウ』ト、イッテクレレバ、ソレデイイノカ。 ウマレタヒヲ、イワッテモラエレバ、ソレデマンゾクジャナイノカ。 いていいのだと、存在していいのだと、誰にどういわれても、俺自身の何かが否定する。 存在を軽くする。 捨てられたことそのものではなく、多分、自分がすでに死んでいたかもしれないという仮定の過去のために。 それとも、やはり自分が捨てられたことがショックなのだろうか。 見もしない母親が赤ん坊の自分を捨てたことが、たくさん愛情をくれた池田家の人々や、目の前にいる奴らの気持ちよりも上回るのか。 どっちなんだ、池田光流。 『誕生日ありがとう』 忍が素直におめでとうといえなくても、正直、奴の心の中でおめでとうというのと同じ気持でいってくれているのはわかっている。 『いつになったらおめでとうに進化するんだ?』 そう茶化したのはただ忍の反応が見たかったからで、いつだっていい――いつか忍がいいたくなったときにいってくれればそれでいい。 『そんでねー光流先輩! お誕生日おめでとう!!』 『先輩、おれも! おれもちゃんと覚えてます!! おめでとうございます』 自分が心を向ける人間からそういわれることはうれしくて、どこかくすぐったくて、それは光の中で舞う桜の花びらのようにきらきらと耀いて、ほのかな暖かさを俺の心に落としていく。 なのに。 その光が消えた途端、やっぱり何かが暗闇に呟く。 オレハ、ホントウニココニイルノダロウカ。 コノバショニイルハズナノハ、ベツナダレカナンジャナイノダロウカ。 その暗いものに、多分今の俺は勝てない。 ここで見ない振りして甘えていても、一生俺は自分の存在を完全に肯定することはできない。 情けないほどに。 この目に優しい桜霞さえ、こいつらと見るのでなかったら、刃のように心に突き刺さってくるような気がした。 「そういえば、先輩たち一緒に住むんだよね」 「おう、一応な」 「へーどんなところですか」 「狭い部屋だ」 「忍先輩、東京都下で贅沢いってたらきりないでしょう?」 「そうそう。寮よりは広いっていくら説明しても納得してくれなくってさー」 「そういうもんですかねえ」 蓮川はよくわからないのかただただ感心している。 ふと、何を思ったのか瞬がぱっと表情を明るくした。 「あ、僕、先輩たちの愛の巣にお邪魔したいなあ」 俺は咄嗟に吹き出した。 「瞬、誰と誰の愛の巣だ?」 忍の声に何か楽しそうな響きが感じられる。 ちょっと、待て。 「もちろん忍先輩と光流先輩のだよ」 「……おまえ、相変わらず怖いもの知らずだな」 「え? 何が?」 「……ほ、ゲホッ、忍、おまえ、ちょっとは否定しろ」 俺は咳き込みながらも訴えることにした。 “愛の巣”だなんて、まともに受け止めたら、明日にはグリーンウッド中の人間が俺と忍はできているとかいいだすに違いない。 それだけは絶対避けたかった。 「安心しろ、光流。俺が責任持って、俺たちの“愛の巣”に瞬と蓮川を招待してやるからな」 「ふざけるな!!」 そう叫んだ時だった。 「あー!!光流先輩!忍先輩!!そんなところで何やっているんですか?」 どこか遠くで、誰かの声がした。 「えー?先輩きてんの?」 「どこだよ」 辺りにざわめきがよみがえる。 「あーあ、見つかっちゃった。これからが面白いところだったのに」 「おまえ、忍先輩に殺されるぞ」 「だってー」 そんな声の何もかもが懐かしい。 「あのねー、花見したい人は食べ物持参で降りといでー」 「おい、瞬」 慌てる蓮川の頭上に声が降り注ぐ。 「なんだよ、瞬。食べ物用意してねえのかよ」 「ちっちっちっ。甘いね。そんなの用意してるわけないじゃん。それにね」 そこで瞬はもったいつけるように間を置いた。 「なんたって、光流先輩の誕生日のお祝いだからね! やっぱりプレゼントは自分で用意するもんだと思うんだよね」 「あ」 「そうか」 「なるほど。この鯨飲馬食の王子様にプレゼントといえば食べ物」 「そ、そうか。すみません、光流先輩。俺、気が効かなくて……何か取ってきます」 そういって、チョロQ蓮川はあっという間に走り去った。 この空気。 この気配。 今はもうこのざわめきは俺のものではないにしても、せめて今日くらいは自分の存在が肯定されている気になってもいいよな。 心に呟くと、 そんなの当たり前じゃないか。 そう緑林寮が答えた気がした。 <由也/20050328 わしの誕生日です(笑)> 終わり。 |