■赤鼻のトナカイ■寝ころんだ視線で見上げる天井は随分とくすんで見えた。 蓮川はだらけた気分のまま床に転がり、その天井を見上げては無意味にため息をついた。春。別れと出会いの季節。毎年繰り返されるそんな通過儀礼も今は何故か無闇と空虚だった。 床の上で転がると軋む木の音も、身体中で感じる床の感触も、今はこんなにも生々しい現実なのにいつか遠い思い出に変わってしまう。そんな当たり前のことが何故かひどく理解できずに蓮川はうつぶせになると身体中で床板を感じるべく手足を広げた。 冷たい。暖かい春はまだ遠い。新しい出会いもまた。今はただ空虚さだけが蓮川を支配する全てのものだった。 「あーもー」 机で雑誌を読んでいた瞬が辛抱しきれなくなったのか苛立たしげに蓮川に振り返る。 「全くいつまでもいつまでもいつまでも鬱陶しいったらありゃしない。いい加減いつまでそうしてだらけてるつもりー? ぼくたちいよいいよ受験生になったんだよー?」 「ああ……」 上の空で答える蓮川の背中がずしりと重くなる。瞬が背中の上に座り込んだのだ。 「重たいぞ」 苦情を述べると、 「それはこっちの台詞だよ。すかちゃんのおかげで部屋の空気が重たいったらありゃしない……」 言いながら重さが更に増す。どうやら本気で体重をかけてきたようだ。苦しいという以前に息が出来ない。蓮川は身を捩りながら床を叩いた。 「まあ、わからないでもないけどね。先輩たち……」 僅かに潜められた口調に、蓮川は僅かに身を硬直させた。まるで一気に感情が押し寄せてくるかのような感覚がして。必死で押し殺す。 「隣の部屋今行っても、誰もいないんだもんねー」 呑気な物言いではあっても、瞬も思うところあるらしく、声音が僅かに神妙なものとなっていた。珍しいこともあるものだ。 「でも、さ。いくらすかちゃんが寂しくったってさ。いつかこういう日は来ることはわかってたんだし。いい加減に……」 「別に寂しくなんかない」 蓮川は俯いて言った。胸にあふれるこの想いの名前は一体何と言っただろう。いつも感じている身近なそれの名前が、今は思い出せなかった。 「寂しい訳じゃないんだ。ただ、おれは……」 言いよどむと目の前に浮かぶのは節操のない笑顔。容赦なくずかずかと人の領域にまで土足でふみいり、好き放題のその人は、自分から手をさしのべるばかりで…… 「おれ、なにも出来なかった。しかえしも、恩返しも、何も……」 砂を噛むような気持ちで吐き出す。 「あー。それは別にいいんじゃない? 先輩なんだしさー」 少しも容赦せずに蓮川の背中に座り込んだまま、瞬はあらぬ方を眺めてそう言った。そのさばさばとしたドライな性格が今の蓮川には少し羨ましくもあり、そして薄情のようにも思われた。 「ぼくさ、忍先輩って神様みたいだと思ってたけど、光流先輩はあれだよね。サンタクロース」 「サンタクロース?」 いい加減重たくて苦しいのだが、なかなかそれを言い出すきっかけがつかめず、けれど瞬の言う内容に興味を引かれて蓮川は聞き返す。 「うん。なんかさ、勝手に部屋の中に入ってきて、勝手にプレゼント置いてくの」 「そうだな……」 瞬の所為だけではない重苦しさがますます増したような気分で蓮川は頭を抱え込んだ。 「おれ、子供のころ不思議だった。世界中の子供たちにプレゼントして、サンタクロースの家計は大丈夫なんだろうかって……」 「ああ、それはそうだよねえ……」 「大体サンタクロースって、ありがとうって言うことも出来ないし、プレゼントのお返しだって出来ないじゃないか……」 「うんうん」 次第に、ムラムラと蓮川の中から怒りにも似た炎がわき上がってきた。どうして、一体何故……。蓮川には納得できない。どうしても納得する訳にはいかなかった。世の中なんて勿論平等だなんてことないけれど、それでもおれは…… 「そういや、サンタクロースの正体ってヨゼフっていう説があるんだったっけ? ほら、聖母マリアの旦那の……だとしたらますます光流先輩な感じだよねー」 背中で瞬は呑気な物言いを続けている。けれどもうどうでも良かった。蓮川は力の限りに起きあがる。背中から転がり落ちた瞬が何処ぞに頭をぶつけたようで随分と派手な音がしたけれど、それもどうでも良かった。 「そんなの、おれはいやだ!」 もはや誰に向けているのかもわからぬ憤懣を胸に一人拳を握りしめる。 「世界中のよい子たちがプレゼントもらえる夜に、どうしてサンタクロースだけ何にももらえないんだ!」 ぶつけた頭をさすりながら瞬が、すかちゃん例え話にむきになりすぎ、と、小さくぼやく。それでも瞬は顔を上げて蓮川に向かって笑いかけた。 「まあ、すかちゃんのそんなところがね。僕は赤鼻のトナカイなんだと思うよ」 瞬の言葉はまるで予想していなかったことで、蓮川はつくづくとその間抜けなフレーズの意味を考えた。 真っ赤なお鼻のトナカイさんは いつもみんなの笑いもの でもその年のクリスマスの日 サンタのおじさんは言いました 暗い夜道もぴかぴかの おまえの鼻が役に立つのさ 「……おまえおれを馬鹿にしてるだろう……」 いろんな角度から検討してみた結果蓮川が得た結論はそれだった。 「やだなーすかちゃん。ぼくがそんなことすると思うー?」 僅かに冷や汗を流しながら後ずさる瞬に蓮川は詰め寄る。しかし瞬は身軽に身体を翻すと部屋の外へと逃げ出してしまう。 「ほらほらすかちゃん。そろそろ先輩たちが遊びに来る時間じゃないの? 全く大学始まるまで暇だからってよく来るよねえ。誰よりも一番早くお出迎えしに行こうよ」 そんな風にひどく楽しげに言われると蓮川も毒気を失って、 「あ……うん」 素直にその後に従う羽目になる。最後に一瞬目を走らせた室内。 「あ……」 開け放したドアに僅かに翻ったカレンダーを見て、蓮川は突然気付いた。 ……今日は光流先輩の誕生日だ…… あったら一番におめでとうって言おうかな。そう思うと同時に、けれどそれは本当の誕生日ではないかも知れない可能性を孕んでいて、だからその話題は口にしてはいけないのだろうかというそんな想いもわき上がる。しかし、誕生日におめでとうを言われない光流の姿を想像すると、それはクリスマスプレゼントをもらえないサンタクロースのイメージにも似て、蓮川の胸にやりきれない苛立ちを沸き起こさせる。 (どうすればいいんだろう……) 蓮川はわからない。こんなこと気にしていることじたいひどく後ろめたいことのような気すらする。混乱した頭のまま、蓮川は瞬の後を続いて廊下を歩いていく。こんな気持ちのままで光流と会うのだろうかと思うとひどく気が重たかった。 <U.K./20050327> →リレー小説続きへ。 |