昼休み昼のオフィス街はビルから溢れ出してきた人で活気に満ちていた。 何を食べようか。 忍は特に当てもなく歩き出す。 ふと、雑踏の向こうに見えた人影に目が止まった。 忍はまさか。と思いながら、それでも、自分が、自分の心臓が間違えるわけがない。と心に呟きながら、走り出した。 「光流っ?!」 人混みを掻き分けて叫ぶ声は、妙にかすれて街のノイズにかき消される。 「光流ーっ!!」 忍は自分があまりにも必死で滑稽だと思った。 会社の誰かに見られないだろうか。 そんなことが頭をよぎる。 それでもなお、忍の手は必死に一つの人影を掴もうとしていた。 真新しいビルが立ち並び、男たちは制服のように背広を着て歩く世界で、汚れた上着とリュックを背負った姿は異邦人でしかない。 忍の目にはあたりに漂う空気さえ、男を排除しようと躍起になっているように見えた。 けれども男はそんな雰囲気など一向に気にせず、風に髪をなびかせている。 「光流……」 息を切らしながら呟くと、男はようやっと振り向いた。 「よお、忍」 まるでさっき会ったばかりのような気安さで男は忍の名前を呼ぶ。 実際にはもう五年も会ってなかった。 忍は光流がどこにいるのか知らなかった。その生死さえ。 「光流……?」 忍はもう一度確かめるように呟いた。 「ああ」 日に焼けて赤くなった顔が、目を細めて笑う。 その懐かしい笑顔は、昔と変わらず、どこか寂しい匂いが混じっていた。 「……………ひさし、ぶりだな」 「ああ」 「時間あるのか。これから昼飯を食うところなんだが」 時刻はまだ十二時十分。一時までの短い時間だけでも、この風のような男を捕まえておきたかった。 「おごりか」 光流がにぃっと笑う。 変わらない。 忍がよく知る光流の笑顔の一つ。 思わず、忍も不敵な笑顔を返していた。 「ふむ。おまえさえ構わなければ今日に限り奢ってやってもいいぞ」 「よっ。太っ腹」 会話が、心地よいテンポで進んでいく。 ふと黙り込む会話の間隙さえ、いつまでも浸っていいくらい忍の心に馴染んでいる。 「忍」 「なんだ」 「シャツの袖がが汁びたしになってるぞ」 「は……」 手元を見るとラーメン汁が滴り落ちていた。 「ここ最近汁物など滅多に食べなかったからな」 忍が淡々と呟いた、と思うまもなく光流はぶっと汚い音を立てて吹き出していた。 吹き出して。せき込んで。ひーひーいいながら腹を押さえている。 「……んだよ。忍君はしばらく食べないとラーメンの食い方忘れるのかよっ」 「もちろんだ。こんな複雑な食い物の食べ方など、見本がなければすぐ忘れて当然だ」 すました顔で忍が答えると、光流はますます苦しくなるようだった。 光流が笑えば笑うほど、忍の心の中に弾けるような光が乱反射する。 その久方ぶりの感覚は眩しくて、忍は光を押さえるように目を眇めた。 「そーいえば、おまえ、いつだったか俺が蓮川に殴られたときもげらげら笑っていたな」 騙された蓮川が切れて開き直って……。 騙される方が悪いが、騙したことは事実だし、殴られるだけの原因ももちろんあった。 しかし蓮川に殴られたことは屈辱で、たとえ復讐することがどんなに大人げなくてもやり返さないと気がすみそうになかった。 光流ならまだしも蓮川にやられ返されるなど。 けれども。 かたわらで、なぜか共犯の一人は笑っていて、殴られた痛みよりも笑いすぎて苦しそうなほどで。 光流のげらげら笑いは、忍の心の苦いものを幾分和らげてくれたのだ。 「あー。そんなことあったっけなー」 「おまえ、あのときわざと笑ったんだろ」 俺を救ってくれたんだろ? 声にせずに問いかける。 「へ」 「違うのか」 「何でわざと笑わなきゃなんねーんだよ」 「俺の……」 俺の屈辱を和らげるために? 俺の理不尽な復讐心を和らげるために? いずれにせよ、俺はまた光流の手の中で踊っているのかもしれない。 「おまえはいつも場の空気を明るくしたがるから……」 「んなの、面白くもねえのに笑ってられっか」 「そうか――だとしたら、有り難いが」 最後の言葉を忍は低く呟いた。 「あんだって?」 光流はスープをすすりながらもぐもぐと目だけを向けている。 「なんでもない」 「んあー」 わざとではないという言葉が真実なのか、そうでないのかすら、忍にはよくわからなかった。 いつだって、わかったと思った次の瞬間には光流は忍の理解を超える行動をする。 それが忍を救ってくれて……それを押しつけるのではなく、ごく当たり前ことをしたまでだといって、また、忍を救う。 忍は視線を落として、ここに流れる空気を今一度噛みしめた。 喧噪の中で光流が笑う。 まるで意図せずに、忍の恥辱を吹き飛ばしていく。 「いつだって俺は救われてばかりだ」 忍は駅に向かって歩く光流の後ろ姿に呟いた。 <ゆや/20050620> えーと、笑い上戸の光流の話。 某U.K.がいう忍はこんな感じらしいので 光流部分を補完して書いてみました。 |